社会人として人生を学ぶ者の日々を書きちらし・・・。


by jurisprudentia
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カテゴリ:日本法制史( 7 )

自身の研究

現在は、研究室に籠って乱読中。

何故そういうことをしているのかというと、現在の研究で、自分の関心の有る分野における先駆的研究者を探し見極めるため。

まぁ、兄弟子に「乱読しろ」と言われたのもあるんですが。

で、気づいたこと。

「もしかしたら、先行研究って無いのかもしれない・・・」ということ。

つまり、資料は大量にあるのだが、その中から、自分が知りたい・興味がある時期の分野について書いている人が実に少ないという事実。

お師匠さんに勧められるままに、昔四国の大学にいた先生の本を読んではいるものの、興味関心が違うのか、タイトルには惹かれるものの、内容が違うという。

ということは、修士なのに、いきなり原資料にぶつかっていって、持論の展開をしないといけないのか?それは酷じゃないか?

というか、そんなことをしていて、一年で本当に出られるのか?

というか、僕は一年で出ても良いように、ちゃんと職につけるのか?

いろんな悩みを抱えつつ、今日も研究室に籠ってます(笑)
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by jurisprudentia | 2007-07-07 16:26 | 日本法制史

論文

切腹について書いたんですが、なんとか仕上がりました。

法学部らしくないタイトルなんですが、それは日本法制史という学問の特殊性ゆえですね。

これから、先生や学生同士のチェックで、訂正されていくんですが、怖いですね~。

まぁ、これでひとつ重いのが終わりました。

次は法社会学のレポートです。忠誠心というメカニズムを調べてみようかと思ってます。しかし、家のワードは今も不機嫌なまま・・・・・orz

誰かパソコン買ってください(切実)
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by jurisprudentia | 2007-02-01 17:40 | 日本法制史
なんとか、ゼミの発表が終わりました。

終わってみての感想。

なぜ人が切腹するのかという理由が分かりにくい!納得できない!と中国人の講師の方から指摘をいただきました。

しかし、これをやってしまうと、思想史であったりして、法制史からかけ離れた論文が出来上がってしまう気が・・・・。

法制史であることを貫けば、この先生の問いには答えられないだろうし、先生の問いに答えれば、法制史からかけ離れるし・・・。


どうする俺!?

さぁ、こちらの選択カードを!

誰???まぁ、カードは引くか。

カード「本人に聞く

さぁ、タイムマシンでレッツゴー!

どうして腹を切るんですか??


そこに腹があるからさ!!


案外こんなもんだったりして(笑)
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by jurisprudentia | 2006-12-14 23:49 | 日本法制史
はい。論文書いてます。

なぜ腹でなければならなかったのか?

そう。切腹なんです。

腹でなければならなかった理由。

それは・・・・・



死ぬまでの場がもつから!


そうですね。これが一番妥当な結論じゃないかと。

確かに、最初は誰もが腹が一番切りやすいと考えたことでしょう。

骨もないしやりやすそうだし。

しかしね、実際には腹壁を突き破るだけでも一苦労なんですわ。

そして、引き廻すなんて・・・。

さらに、大きな血管でも傷つけない限り、死ねないという・・・。

だから何と言われるかもしれないけど、辞書などに載っている切腹の定義って間違っていると思うんですよ。

切腹と検索すると、大体「自殺の方法」って書いてあるんですよね。

でも、死ぬことは切った後の結果であって、切腹を広義に捉えるとそうかもしれないけど、狭く切腹の意味を考えると、やはり、死ぬまでの場をもたせ、自分の勇気をアピールするものではないのかと思うわけです。

前にもこんな記事を書いた気もしますが悪しからず(笑)
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by jurisprudentia | 2006-12-13 13:38 | 日本法制史

今から

はい、論文書きます。

というより、論文の構想を細かく考えていきます。

まず、今回主として扱う課題は「刑罰としての切腹」なんですね。

んで、この刑罰としての切腹に持っていくためには、もちろん切腹の起源から触れていかなければならないし、そして、その意味の変遷を見ていかないといけないでしょうね。

んで、切腹の意味の変遷を見たら、なぜ、切腹でなければならなかったのか?というのが見えてくるんではないでしょうか?

はい。こんなもんです。これでは、たぶん3000字も埋まらないから、もっと話を広げていかなければいけないでしょう。

ということで、今年の前期に扱っていた赤穂事件ネタを用いるわけですね。

というのも、赤穂事件で切腹の作法を見て、「大名をその様式で切腹させてよかったの?」という問いを立てるもいいし、「乱心した人間に対して、切腹という刑事責任を課して大丈夫なのか?」という問いを立てるのもありでしょうなぁ。

まぁ、いずれにせよ。






早く書け!


ということですね。




いきなり逃げます。

大岡裁きの弊害

大岡裁きで有名なのが、子供の親権で争っている二組の夫婦に子供の腕を引っ張らせて、愛情の深いほうが本当の親なんだから、引っ張って子供を自分の方に寄せることができた方に親権を渡すと言っておきながら、子供が痛がるのを見て、子供がかわいそうでならない本当の親が手を離し、それを見ていた大岡さんは、「子供を思ったその方が本当の親だ!」と言い渡すというものがありますが、このような裁きを繰り返すとどうなるか?


大岡「よし、では子供の両腕を引けい!」

親1・親2「はい!」

子供「痛いよー!!」

親1「(はっ!!ここで手を離せば、本当の子供でないこの子の親権がもらえる!!)」

親1「子供がかわいそうだー。手を離します!!」

大岡「よし分かった。では子供を引き寄せた、親2に子供の親権を託そう!」

親1「え~~。」

となるわけですな。

大岡裁きは、確かにフレキシブルな解決ができるのかもしれないけれども、真実が分からない場合には、絶対に先読みできないという危険性も。

まぁ、裁判制度が「お上によって、わざわざ裁判をしてもらっている」という意識の中では、みんなが(とは言えないかもしれないが)ある程度納得しうるものだったかもしれない。

今の裁判でこんなことやったら、非難轟々だろうね。


ちなみに、テレビでやっているような、大岡裁きは実際にはありえず、本当の江戸の裁判は先例拘束的なんですね。

あったとしても、実際の事実の方を捻じ曲げるくらいです。

たとえば、盗みに入っても、罪が重くなり過ぎないように、実際に盗った額よりも少ない金額を被害者から申請させるなどですね。

これはすごい・・・・。
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by jurisprudentia | 2006-12-11 15:53 | 日本法制史

切腹の話

日本人が腹を切るというのは、昔の語り部達の誇張なのか?

そういうお話を書いているのが八切先生という方で、非常に現実を見たものではないかと思われる。八切先生は、「切腹は支配者が被征服者に対して課した残虐な刑であり、勇壮なものではない」と主張されておられる。

確かに、ある話など、伝えられているものの中にはできすぎにも程があるものも。

田の中に落馬して、「今はこれまで」と腹を掻っ捌き、死なれないので、自ら首を切り落とし、そして、田中に首を埋め、首をとられないように、自らの体で首を隠したとか・・・・。

首がない人間が果たしてそれほどの動作ができるのか!?

もちろん、これは事実にかなりの色づけがおこなわれたのだろう。

しかしながら、それでも、切腹は自らの命を絶つ行為として、受け入れられた節があるのではないかということが、どうしても気になってしまう。

確かに、切腹隆盛の前夜には、確かに人間くさいものがあり、勇壮なんて言ってしまうのは、とんでもないと思われるものがあったかもしれない。

しかしながら、その一事をとって、全てが過去の人たちの色付けだと言ってしまうのもどうだろう。

まぁ、ゆっくり考えますか。


本日の夕食はてんぷらでした。

学校近くのてんぷら屋さんに入ったんですが、食べていてびっくり!

今年赴任してこられた、法制史の若い先生がお一人でいらっしゃったんです!!

まさか、そんな所でお会いすると思ってなくて、一人でびっくりしてました(笑)
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by jurisprudentia | 2006-12-07 20:02 | 日本法制史

人はなぜ腹を切るのか?

さて、こんばんわ。

いきなり、血なまぐさいタイトルですみません。

ゼミで扱う論文のタイトルにでもしようかなと思っていたもので。

今年、僕が扱うのは、日本人の永遠のテーマ切腹

そう。あのお笑い芸人も一時期見飽きるほどの回数をこなしていたではないですか(笑)!


では、なぜ日本人には、これほどまでに切腹が定着したのでしょうか?

まず、切腹の定義から。

切腹の定義は「腹を切って死ぬこと。平安末期以降武士が自尽する場合の風習」(広辞苑)とあります。

つまり、日本人は死ぬなら切腹で!という意識があったんでしょう。否、現在もあるのでしょう。

しかしながら、ちょっとよく考えてみましょう。

腹を切ったら本当に死ねるのか!?

体の中で、一番切りやすそうな部分はどこでしょう?

みなさん、やわらかそうなお腹を指すでしょう。

しかしながら、実はこのお腹の柔らかさこそ、切腹を困難ならしめているんです。

実はこのお腹の柔らかさは、脂肪がやわらかいために生まれるものです。

そして、この脂肪が厚いこと厚いこと。

そこのメタビーのあなた!そう、あなたですよ!自覚症状があるんじゃないですか??

この脂肪の厚みのせいで、うまく刀を突き刺すなんてことは、実は至難の業なんです。

つまりですね。最も簡単に死ぬ方法は、首の動脈を切ってしまうことなんです。

仮に、切腹が純粋に死ぬことのみを目的にしていた場合、おそらく切腹なんてものは生まれてこなかったでしょう。

切腹する人が現れても、その苦しそうな姿を見て、次に死ぬ人は切腹なんて馬鹿な真似はしないでしょう。

腹を切っても、6時間以上経たないと死ねない。

首なら切ってしまえば、あっという間に失血で死んでしまう。

楽に死ぬなら首ですよね。

ということで、上記のことから、日本人は切腹に対して、死への手段というよりも、別の意味づけを行っていたのではないかと思われるわけです!


ということを、つらつらと論文にしていくわけです!読みたいという方はコメントでどうぞ。駄文の論文になりますけど。

ご希望に添えるかわかりませんが、がんばります(笑)
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by jurisprudentia | 2006-12-03 23:39 | 日本法制史